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屋内の防空壕の多くは安全とは言えなかったらしい

☆屋内の防空壕の多くは安全とは言えなかったらしい

新聞を見て知ったのですが、戦時中に家の中に作った防空壕は、とても安全とは言えなかったそうです。

学校で習った時は、「戦時中、空襲があったら、防空壕に隠れた」、
という事だけを習ったので、防空壕というのは、外にいるよりまだ安全だったというように思っていたのですが、
そういうわけだけではないようです。

また、防空壕は、洞窟みたいな所というようなイメージでしたが、
民家では、床下などを掘って作られたものが多かったそうです。


防空壕というのは、1939年に、建築雑誌に登場したそうです。
爆弾や焼夷弾に耐えられるもので、コンクリートやセメントで造る事を想定していたそうです。

焼夷弾というのは、対象の破壊というより、対象を焼き払う(火事にする)事に重きを置いた爆弾です。


実際には、コンクリートで造られたのは、一部で、多くは廃材などを利用して作ったそうです。

戦争では、空中から戦闘機で爆弾を落とされたりもしますが、
その空襲の危険から逃れる為、学校の校庭や空き地、民家の宅内等にいっぱい作られたそうです。
私の家の前にある土地にも、当時は作られていたそうです。

空襲などが始まると、その防空壕に逃げ込んだそうです。

ある程度、大きい頑丈な防空壕は、
屋外にいるより、爆風や爆弾破片の危険にある程度効果があったそうです。

1940年に、防空壕は、こういう物という事を書いた
「防空壕構築指導要領」が、資材不足の影響で、1942年に変更され、
防空壕と言わず、正確には「待避所」というとしたそうです。






・屋内の防空壕(待避所)


ある程度、大きい頑丈な防空壕は、ある程度、効果があったかと思いますが、
民家の宅内に作られたものは、そうとは言えない事も多かったようです。

その防空壕(待避所)にいたら爆弾や焼夷弾から身を守れるというわけではなく、
強度もそんなにないものも多い為、
一時的に身を隠す場所でしかなく、
とても貧弱で安全と言えるものではなかったようです。

焼夷弾が降って来た時、その防空壕(待避所)に避難する方が、かえって危険だった場合もあったそうです。

その防空壕(待避所)にいた場合、
家屋が炎上して、煙に巻かれたり、その中で窒息したり、
押しつぶされたり、蒸し焼きになって、亡くなってしまった人が多かったようです。

だからと言って、空襲中にすぐ逃げ出したりしても、もちろん危険だったはずですが、
防空壕(待避所)に避難してしまう事で、逃げ遅れる人も多かったのではと、言われています。


また、戦争当時の日本は、空襲に対して逃げる事を勧めたら、逮捕される可能性もあったのも関連があったのかも知れません。
当時、「防空法」というのがあって、
その法律には、都市からの退去禁止、空襲時の消火義務などがあったそうです。



戦争や空襲が二度となければ良いですね。
他の国では、戦争や争いをしている国がありますが、
ちゃんと違いも尊重して、話し合いが出来る人間が増えたら良いですね。





記載:2014年03月頃

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